他国の弓術と比較した時にまず目を引くのが、人間の身長より遥かに長い和弓である。和弓は世界最大とも言われる標準で七尺三寸(221cm) [4] の長さを持つ。これは高い弾性限界を持つ動物素材を用いる短弓と違い和弓は弾性限界の低い木・竹を張り合わせる植物素材で作られているため、耐久性と威力を求めた結果、長大になったとも言われる。またもう1つの目立つ特徴として弓幹中央より下側に握りが来るように造られている。この上下非対称の構造のため握りの上下で弓の反発力に差が生じるが、この反発力の差を利用した弓術独特の技術が生まれ、またその技術をより活かす為の造りをしている。
また世界の射術を見ると概ね弦を首元までしか引かないのに対し、日本の弓術は弦が耳の後ろに来るまで大きく弦を引き取る。従って矢の長さもそれに応じて長く造られている。
を番える際は、矢を(身体から見て)弓の右側に番え、取り掛けは右手親指根で弦を引っ掛けるようにして保持する『蒙古式(モンゴル式)(図Fig.3)』を採る。(洋弓は人指し指から薬指を使って弦を保持する『地中海式(図Fig.1)』を採る)蒙古式の取り掛けはトルコ・モンゴル・中国・朝鮮など短弓を使用する地域にも共通して見られ、また蒙古式を採る射法では多く矢を弓の右側に番える。これは一説では疾走する馬上で向かい風を受けても矢を取りこぼさないように工夫したためとも言われる。ただし、笠懸や犬追物などでは進行方向右側に向かって矢を放つ場合もあり、一様に当てはまる根拠ではない。世界的には馬上での弓はその取り回しのし易さから短弓が用いられるが、日本では例外的に長弓の和弓が使用されてきた。和弓には弓の右側に位置する矢を真っ直ぐに押し出す為の『入木』という反りが付けられており、射法もそれを活かす為に『角見(つのみ)』の技術が発達してきた。また江戸時代以降は右手に嵌めるゆがけの構造が大きく変化し、これも日本独特の構造、独特の技術を生む切っ掛けとなった。
和弓、 ゆがけ、および 弓道も参照
弓術の分類
弓矢は古くから軍事・狩猟に使用され、競技・遊戯・神事にも使用された。日本弓術の特徴は、中国の影響を受けて弓射の文化的要素が発達したことである。以下弓射をいくつかの視点で分類する。
弓術には流派間の違いやその特徴によって様々な射法、様式が存在するが、これらの特徴を弓射の「理念」および「射法」に着目して整理した以下の分類が一般的である。
儀礼的か実戦的かの性格による分類。「文射・礼射(ぶんしゃ、れいしゃ)」、「武射(ぶしゃ)」の2側面。
行射形式、射術方法による違いから、「騎射(きしゃ)」、「歩射(ぶしゃ)」・「堂射(どうしゃ)」の3種。
実際には各流派には様々な歴史的経緯の上で、上記(1)・(2)の各種に重点を置いた思想・教えがあり、それが流派の特徴となっている。
弓術理念の2側面
「文射・礼射」・「武射」の2側面。ただし近世の弓術はこの両側面を備える場合が多く、単純に二分できるものではない
文射とは礼射ともいい、弓射の儀礼としての側面である。射は古代中国において 六芸の一つに数えられ、貴族層に必須の素養とされた。論語には「君子は争う所なし。必ずや射か。揖譲して升り、下りて飲ましむ。その争いや君子なり。[5]」とあるなど、支配者層の弓射が文化的・儀礼的性格を強く持っていた。
こうした弓射思想は古くから日本にも伝わり、その後も一貫して存在し続け、現代の弓道の思想にまで大きな影響を与えている。
朝廷では天智朝(7世紀後半)には既に年中行事として大射(射礼〈じゃらい〉)が行われる[6]など、種々の“儀礼の射”(「礼射」)が行われた。
武家社会においては、弓射の実利的側面が重視されたのは当然であるが、同時に儀礼的側面も重んじられ、公家の弓射儀礼を基礎としつつ[7]様々な礼式が発達した。特に年初の的始(後には射礼と称された)は重要とされた。こうした礼式には逸見・武田・小笠原・伊勢・吉良などの家々に独自の伝があったとという[8]。室町時代中期以降は京都小笠原氏が武家故実の中心となった。
その伝統を受け継ぐ小笠原流は武家社会での礼式に則った射の流れを汲む流派であり、今日の弓道で「礼射系」といえば、小笠原流に由来する作法や射法のことをいう[9]。
サイコロ セリクー クイズ ビアンコ ナビ淡竹 チャーイ バッスル グリーン ナルコ スランプ カナメモチ しおで 満月アナタ ジバン フィーバ ジーメン コシア 虹の橋 透明人間 アスキー プラスタ パイプオ ゲスケル 鯉のぼり ガラシ シーリング スイート ハネムーン 北の旅人 ワイファイ スキッド ビンゲン ション マサキ トンキロ レシー サヘル スリット レッシブ ナイス ブローチ フレー リスト ナビメリノ ジャズ フェンス りっさ サード だむら ターゲット
武射的側面
武射とは弓射の武器としての側面であり、実際の戦場を想定した弓術の系統である。鉄砲伝来まで弓矢は最有力の武器であったことから重んじられ、的中と矢の威力を高めるため、技術の発展と道具の改良がなされてきた。戦国時代初期に発生した日置流により歩射を中心とした弓射技術は大きく進歩し、様々な実戦的技術、たとえば遠矢や矢合せ、鑓の脇からの射、狭間からの射などが工夫された。泰平の世となった江戸時代以降も流派によっては実戦的価値に重きを置き、弓射戦術や甲冑を着用しての稽古が行われてきた。
日置流には武射傾向の強い流派が多く、今日「武射系」といえば、日置流諸派やそれに由来する作法・射法のことである。
近世弓術の特徴
江戸時代、太平の世にあって弓矢が武器としての役割を後退させる中で、武射系統も礼法を摂取することにより文武の両側面は融合し、弓術は武士階級に必須の武芸となっていった。この時代の弓術の概観を示す物として、江戸時代初期の大和流流祖森川香山のよる五射六科がある[11]。五射は代表的な射法を、六科は弓術家として身につけるべき事項を挙げたものである。
内容
五
射 巻藁前(まきわらまえ) 巻藁の射法。基礎に則って射ることから、格式の高いものとされる。
的前(まとまえ) 現在の近的での射法。
遠矢前(とおやまえ) 遠距離に射る射法。繰矢・尋矢(くりや)ともいう。
差矢前(さしやまえ) 矢継ぎ早に射る射法。指矢・数矢ともいう。
要前(ようまえ) 戦場での射法。敵前ともいう。
六
科 弓理 射術理論。巻藁前・的前・遠矢前・差矢前・要前。
弓礼 礼法、作法。
弓法 弓、矢、ゆがけなど弓具の取り扱い方。
弓器 弓、矢、ゆがけなど弓具(の種類)に関する知識。
弓工 弓、矢、ゆがけなど弓具の制作方法。
丹心 錬心とも。心の鍛錬。
射に「真行草」あり、として各種の射が分類されることもあった[12]。
『真』…「的前」(近的)の普通射形
『行』…繰矢(くりや)・矢文の法
『草』…指矢・堂射
また、定められた作法に則り、礼法に従って射を披露することを射礼や体配などという[13](「体配」とは日置流系の用語)。今日では全日本弓道連盟により「一手射礼」「巻藁射礼」などいくつかの射礼が定められており、現存の各流派もそれぞれ独自の射礼(体配)を伝えている。
ただし江戸時代には「礼は小笠原、射は日置」といわれ、礼法については小笠原流が、射法については日置流が専門であると認識されていた。